Wednesday, May 15, 2013
メモと記憶。
仲良くしている台湾のS先生が、こんなことを言った。
「日本料理店に行って注文をするとき、店の人は、必ずメモするでしょ。
台湾のお店では、メモをしないことが多い。でも、店のおじちゃん、おばちゃんは、どれだけ多くて細かい注文でも、しっかり覚えているの」
大学の授業でも、日本の大学生に比べると、台湾の学生は、ノートをとらない。
しかし、ちゃんと覚えていることが多いのだ。びっくりするほど。
私は、学生にも社会人にも、メモをとりましょう!と、言ってきたけれど、
それは、つぎのパフォーマンスに生かすためのメモだ。
メモやノートをとったことに安心して、覚えず、考えなくなったら、逆効果。
メモがなくても、ちゃんと理解して、行動に生かせれば、問題はない、ということもある。
最近、S先生はニュージーランドに行っていた。
「ニュージーランドの店はどうなの?」と聞くと、
「メモはとらない。注文してから出てくるまで、ひとつずつ、ゆっくり、ゆっくり。ものすごく時間がかかるの」
なるほど。記憶と、仕事の処理もマイペースらしい。
ちなみに、台湾は、時間がすべて、というぐらい仕事が速い。
話はもとにもどって。
考えてみれば、「記憶」というものを、なにかに依存することによって、私たちは、記憶しようという意欲と機能を失ってきたのではないか。
子どものころは、友だちの家の電話番号(固定電話)、親戚の家、両親の勤め先など、必要は電話番号は、一通り覚えていた。
母は、どういうわけか、いまでも、小学校の同級生30人をフルネームで覚えているという。
そういえば、150種類以上の薬草を知っているフィリピンのアイタ族、複雑な長いリズムを一度、聴いたらすぐに覚えてしまうケニアのジャンベ・ミュージシャンなど、「すごい記憶力!」と感動することがあった。
世の中は、いろいろなことが便利になった。
でも、それで、機能、能力といったことだけでなく、ある種の意欲とかエネルギーとかも失われているのだろう。
ときには、頼らないことも大事かも……。
写真は、高雄の海水浴場。