●去年の博多山笠からなにかとご縁のあった作家のシゲちゃんこと、永松茂久さんが主催する知覧の「さくら祭り」に参加した。
知覧は父と、桜の時期に、よく来た場所だ。
「ここに来ると、背筋がしゃんと伸びる」
と父は言っていた。
3年前に他界した父や、戦争で亡くなった叔父や、祖先が自分のなかにいて、
「しゃんとしろ。大丈夫だから」
とサポートしてもらっている感覚。
●先日、ホテルから見た桜並木の下で、15年前、一緒にお花見をした同級生、熟男・熟女を呼び出してゴハン。
「あれから15年、こんな未来があったなんて、想像できなかった。それぞれ、いろいろあったけど、悪くない未来だったね……」
などと語り合う。
そして、また15年後に集合しようではないかと。
●今日は久しぶりに実家でゆっくり。
母と、テレビでフィギアスケートなどを見る。
母は口の悪い人で、私が少し太れば、
「あんた、太りすぎ。食べすぎなんでしょう」
という。
少し痩せていれば
「痩せすぎ。ちゃんと食べてないでしょう」
と叱る。
いつものこの憎まれ口が聞きたかった。
それだけ元気だってことだから。
変わっていくこともあるけれど、何度も繰り返されることもある。
桜のように花が散っても、何度も咲き、なにかが残る。
どんなことも、終わりがあるようで、なにかが続いていく。
自然っていうことは、クールで、優しく、そして、すばらしいもんだ。